成功は自分の中にある

~成功は自分の中にある~
マインドフルネスは今この瞬間を生きるという私たちにとって最も理想的な生き方そのものです。瞑想や引き寄せ、成功哲学を科学的根拠と共に解説することで、スピリチュアル的なことは苦手という方も実践しやすくなっています。また、心身はつながっているという考えのもとに、食事、睡眠、運動、呼吸についても様々な健康法を紹介したいと思います。人生を好転させるキーワードは「思考が現実を作る」です。

2017年10月7日土曜日

やめたい習慣ほどやめられないのはなぜ? |脳は無意識に刺激を欲している



お酒の飲みすぎ、過剰摂取、朝夜逆転生活、自己破壊的な行為や依存症など、やめなければと思う習慣程やめられない、また良い習慣は続かないのはなぜでしょう。「体に良くないよ」「やめたほうがいいよ」と言われれば言われるほど、自制が利かなくなり衝動に駆られてしまい、さらに自分を責めてしまう、そんな負のスパイラルから抜け出すために、陥らないために、依存的な行動の脳のメカニズムを理解したうえで、正しい改善策を考えていきましょう。


私たちは無意識に刺激を欲している


脳の成長、習慣とは、学習することでニューロンが刺激され、つながりがより強化されていく過程です。新しい発見や、 知識、行動によってもたらされる刺激に対して、報酬系と呼ばれるドーパミンが分泌され高揚感や幸福感を感じ、記憶しニューロンのつながりは強いものになります。

また、難題や問題といった状況も乗り越えることで脳はより鍛えられていきます。私たちの脳は無意識に刺激を求めているというわけです。 「好きだから続けられる」とは好きなことと報酬系が結び付いている良い結果と言えます。

ところが、脳は、その刺激が社会的に良い悪い、モラルに反しているかどうかなどとは判断しません。たとえあなたの体を蝕むものだとしてもです。強烈な刺激はニューロンのつながりをより強固なものにします。

自己破壊的な依存は、その行為自体が好きだからではなく、ドーパミン欲しさに止められない状態で、それ以外では高揚感や幸福感を得られないという記憶を作ってしまいます。そのため、自己破壊的な依存以外で幸福感や高揚感を得られることも思い出せなくなるのです。

成長的な行為にしても破滅的な行為にしても私たちの脳は無意識に刺激を欲しています。新天地を開拓する冒険的行動や新たな知識を学ぶ知識欲も、不良の暴走行為やいじめ、アルコール依存やネット依存、危険ドラッグに至るまで脳で起こっている働きは実は同じなのです。違いはどこまで欲するかという程度だけです。 この事実をポジティブにとらえるなら、成功と堕落を分けるものは人間性や才能ではなく、あなたがどちらを選ぶかという問題なのです。


正しさに慣れきって刺激を渇望している


ではなぜそもそも自己破壊的な行為を選択してしまうのでしょう。私たちは、健全で真っ当な人生を送れるように教育を受けます。必要な知識や常識、スポーツや道徳心など様々ですが、そのどれも正しい答えがある前提の教科書通り、マニュアル通りの勉強、教育を毎日のように受けます。つまり道をそれないように正しい方向へ導かれるわけです。私たちは正しさに慣れきっているとも言えます。

前述したように、脳は無意識に刺激を求めるわけですから、正しい行いの反対、間違った行い、ルール違反は脳に強烈な刺激を与えることになり、ニューロンのつながりを強くしてしまいます。この間違った行いに強烈な刺激を受けた脳はドーパミン欲しさにもっともっとと過剰に求めていくということです。

強烈な刺激を受けた脳は、やめておこうと選択するよりも早く反応するためその衝動を止めることはできないのです。 まだ取り返しがつく状態でも、回りの空気、ビビりと思われたくないという意地などが後押しして取り返しがつかなくなっていくのです。


まとめ~自己成長の依存者になろう~ 


悪習慣を断つためには、抑えつけようとするのは逆効果で、体が悪習慣に慣れきっていると、やめようとした行いにたいして、危険信号を発します。アルコール依存者が禁酒しようとするとき、手が震えたり汗が出たりするのはそのためです。体はいつものようにもっとアルコールを飲まなければ危険だといっているのです。

このような負の連鎖をたちきるためには良い習慣、やってみたい趣味、好きなことという刺激でニューロンを繋ぎ変えることが鍵になります。例えば、アルコールでなくとも運動や早起き、熱中できる趣味で多量のドーパミンを得られるということを脳に覚えさせるのです。体に良い行いでも幸福感や高揚感は得られるということを思い出すのです。

破壊的、自滅的な依存ではなく、自己成長的な依存に置き換えてやることが、悪習慣を改善していくのです。 あなたが何らかの依存者でなくとも日常を退屈だと感じているのなら熱中できることを何か見つけるというのは最優先事項かもしれません。

私の個人的な意見 

余談ですが、学校教育が答えありきの正しさで退屈なものなら、答えありきの悪い行いだけを教えて悪行に退屈すれば、暴走行為や破滅的行為 に走る不良もいじめもなくなるかもしれませんね。

もちろんそんなわけにはいかないかもしれませんが、マニュアル通りの教育、答えや解き方を学ぶ勉強ではなく、当たり前のことに対していかに疑問を持つかを教えられれば、日々発見と気づきの刺激的な日常を送ることができ、柔軟な思考性や人間性を培うことができるかもしれません。

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